人新世における時間概念の変容:深層時間と人間の時間意識の乖離をめぐって
人新世における時間概念の変容:深層時間と人間の時間意識の乖離をめぐって
人新世という概念が提起されて以降、私たちは地球システムに対する人間活動の比類なき影響を直視させられています。気候変動、生物多様性の喪失、地球化学的サイクルの撹乱など、その影響は単なる地域的な問題に留まらず、地球全体に及び、しかもその時間スケールは人類の歴史や文明の持続期間を遥かに超えるものとなりつつあります。この状況は、私たちの時間概念そのものに根本的な問いを突きつけます。すなわち、地質学的な「深層時間(Deep Time)」で展開される環境変化と、人間の生や社会の営みが依拠する短い時間意識との間に横たわる巨大な乖離です。本稿では、この人新世における時間性の問題に哲学的な観点からアプローチし、その意味と課題について考察します。
深層時間とは何か、そして人新世との関連性
深層時間とは、地球の歴史を地質学的な時間スケールで捉える際に用いられる概念です。それは、数千年、数万年といった短い時間単位ではほとんど変化が知覚できないような、数十万年、数百万年、数億年といった途方もなく長い時間を指し示します。近代地質学の父とされるジェームズ・ハットンや、チャールズ・ライエルの斉一説などがこの概念を確立し、チャールズ・ダーウィンの進化論にも深い影響を与えました。深層時間は、人間の歴史や生物の進化が繰り広げられてきた舞台であり、そこでは大陸が移動し、山脈が隆起し、生命が多様化・絶滅を繰り返してきました。
人新世は、この深層時間に人間活動が地質学的な痕跡を刻み込んでいる時代として定義されつつあります。大気中のCO2濃度の上昇、核実験による放射性降下物、プラスチックの広範な拡散などが、将来の地層に恒久的な記録として残ると考えられているのです。これは、人間が自らの行動を通じて、地質学的なプロセスに匹敵する、あるいはそれを凌駕する力を行使していることを意味します。つまり、人新世は深層時間という概念を、もはや科学的観察の対象としてだけではなく、人間自身が関与し、影響を及ぼしうる領域として捉え直すことを強いるのです。
人間の時間意識とその限界:短期志向性の問題
一方で、人間の時間意識は、個人の生という短い時間枠、あるいはせいぜい数世代という比較的限られた期間に基づいています。私たちの社会制度、経済システム、政治的意思決定は、多くの場合、短期的な目標や利益に焦点を合わせています。選挙のサイクル、四半期ごとの業績報告、個人のキャリアプランなど、私たちの時間的視野は往々にして数年、長くても数十年といったスパンに限定されがちです。
この人間の短い時間意識と、深層時間で進行する環境変化との間の乖離は、人新世の環境問題への対応を著しく困難にしています。気候変動の影響は、緩和策の効果が現れるまでに数十年、あるいは数百年を要する可能性があり、その結果としての海面上昇や生態系変化は数千年、数万年の時間スケールで続くかもしれません。有害な化学物質や放射性廃棄物は、数百年、数万年といった途方もなく長い期間にわたって環境中に存在し続けます。しかし、私たちの意思決定システムは、このような長期的な影響を効果的に考慮に入れるように設計されていません。目の前の危機や短期的な利益が優先され、将来世代への影響は軽視されがちな構造があります。これは、ドイツの哲学者であるカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーが指摘した「ヘクセンケッセル現象(魔女の釜現象)」のように、短期的な視点で見れば取るに足らない小さな影響が、長期的に見ると制御不能な破滅的な結果をもたらす可能性を示唆しています。
哲学的な時間論からのアプローチ:時間性の再考
この時間的な乖離を乗り越えるためには、私たち自身の時間概念を哲学的に問い直し、拡張する必要があります。いくつかの哲学的な時間論は、この問いに対する示唆を与えてくれるかもしれません。
マルティン・ハイデガーは、『存在と時間』において、人間の現存在を未来への「投企(Entwurf)」として捉え、その根源的な時間性を強調しました。現存在は死という究極的な未来に向かって常に「先駆ける(Vorlaufen)」存在であり、この未来への関わりが現在や過去の意味を規定すると論じました。この議論は、私たちが未来世代への責任を負うべき理由を時間性の観点から基礎づける可能性を示唆しますが、一方でその時間論は人間中心的な枠組みに留まっているという批判もあり得ます。深層時間という人間存在の地質学的な基盤をどのように組み込むかは、ハイデガー哲学を人新世に適用する上での課題となります。
アンリ・ベルクソンの持続(デュラシオン)の概念は、客観的な物理的時間とは異なる、主観的な生きた時間の流れを強調しました。過去が現在に絶えず流れ込み、新しい未来が創造されていくという持続のダイナミズムは、環境システムや生命そのものの変化を捉える上で示唆的です。しかし、ベルクソンのデュラシオンは個人の意識や生命体内部の時間性に焦点を当てている側面があり、地球システム全体の深層時間をどのように包含するかが課題となります。
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドのプロセス哲学は、宇宙を出来事の連関として捉え、万物が常に生成変化するプロセスの中に存在すると考えました。過去の出来事が現在の出来事に影響を与え、現在の出来事が未来の可能性を創造するという見方は、長期的な因果連関を持つ環境問題の構造を理解する上で有効かもしれません。深層時間における地球のプロセスを、相互に関連し合う出来事の織物として捉え直すことで、人間の行為がその広大なプロセスにいかに織り込まれ、影響を及ぼすかを理解する助けとなる可能性があります。
現代の環境哲学においては、未来世代への責任をいかに時間性の観点から正当化するかが重要な論点です。ジョン・ロールズの正義論における世代間正義の原理や、ハンス・ヨナスの責任の原則における未来に対する責任論などが、この問いに応答しようとしています。これらの議論は、私たちが単に現在の世代の幸福を追求するのではなく、遥か未来の世代に対しても配慮すべき倫理的な根拠を探求しています。人新世における深層時間の影響を考慮に入れることは、この未来世代への責任論に新たな深みと緊急性を与えます。私たちが今行う行為の地質学的な時間スケールでの影響は、単なる権利や資源の配分といったレベルを超え、未来の生命や文明の可能性そのものに触れるものとなりうるからです。
乖離を乗り越えるための試みと今後の課題
深層時間と人間の時間意識の乖離を乗り越えるための試みは、哲学の領域に留まりません。科学的な理解を深めることはもちろんのこと、歴史学は長期的な視点を提供し、文学や芸術は言葉やイメージを通じて深層時間を感性的に捉えることを可能にします。例えば、気候変動文学(クリマフィクション)は、数十年後、数百年後の未来を想像することで、読者の時間的視野を拡張しようと試みています。地質学博物館や科学館における深層時間の可視化も、私たちの時間感覚に揺さぶりをかけます。
また、制度設計のレベルでは、長期的な視点を政策決定に組み込むための様々な提案があります。例えば、未来世代オンブズマンのような機関の設立や、長期的な環境リスクを考慮した経済評価手法の開発などが議論されています。しかし、これらの試みがどれだけ実効性を持つかは、 ultimately、私たちの時間意識がどれだけ変容しうるかにかかっていると言えるでしょう。
人新世は、私たちに地質学的な時間スケールで自らの存在と行為を位置づけることを求めています。これは単に科学的な知識の問題ではなく、私たちの時間概念、自己理解、そして他者(未来世代、非人間的存在を含む)との関わり方を根本的に問い直す哲学的な課題です。深層時間と人間の時間意識の乖離は、過去の遺産(例:累積排出量)が現在と未来を規定し、現在の行為が遥か未来にまで不可逆的な影響を及ぼすという、人新世の核心的な困難を示しています。この困難に向き合うためには、既存の哲学的な時間論を批判的に検討しつつ、異分野の知見を取り入れながら、人新世という時代にふさわしい新たな時間概念を共に模索していく必要があるでしょう。それは、単に時間を長く見るということではなく、時間というものが持つ層、リズム、そして存在や行為との複雑な関係性について、より深く、そして謙虚に思考することから始まるのかもしれません。