気候技術時代の倫理:人新世における技術と責任の再考
人新世という地質年代において、人類の活動は地球システムに対して無視できないほどの巨大な影響を及ぼしています。特に気候変動は、その最も顕著な現れの一つと言えるでしょう。この深刻な状況に対し、再生可能エネルギーや炭素回収技術といった「気候技術」への期待が高まっています。しかし、これらの技術は、単なる問題解決の手段として捉えられるべきなのでしょうか。あるいは、技術そのものが人新世の到来に深く関わっているとすれば、技術への依存は新たな倫理的、政治的、そして存在論的な問いを提起するのではないでしょうか。本稿では、人新世における技術の役割を哲学的に問い直し、特に気候技術の時代における責任のあり方について考察を深めていきたいと思います。
人新世を技術史として捉える視座
人新世はしばしば、産業革命以降の化石燃料の大量消費に始まる人類の技術的・産業的活動が地球環境を劇的に変化させた時代として理解されます。この視点からは、人新世は技術の歴史と切り離すことができません。技術は、私たちに前例のない物質的豊かさをもたらしましたが、同時に、気候変動、生物多様性の損失、資源の枯渇といったグローバルな環境問題の主要な原因ともなっています。
この技術史観は、プロメテウス主義、すなわち人間が技術を用いて自然を支配し、コントロールするという思想とも結びついています。この思想は、近代科学技術の発展を推進する原動力の一つとなりましたが、人新世の現状を鑑みると、その限界あるいは危険性が露呈しているとも言えます。自然は人間が思い通りに操作できる対象ではなく、むしろ複雑で予期せぬフィードバックメカニズムを持つシステムであることが明らかになっているからです。
気候技術が提起する新たな倫理的挑戦
こうした状況下で議論される気候技術、特に大規模な地球工学(ジオエンジニアリング)は、新たな倫理的課題を突きつけます。例えば、太陽放射管理(SRM)技術は、大気中に粒子を散布するなどして太陽光を反射させ、地球の温度上昇を抑える可能性が指摘されています。しかし、この技術は地球システム全体に影響を及ぼす可能性があり、その影響は地域によって異なるかもしれません。また、技術の導入を決定する主体は誰なのか、起こりうる予期せぬ副作用に対する責任は誰が負うのか、といったガバナンスや責任の問題も未解決です。
ここでは、ハンス・ヨナスの責任倫理が重要な示唆を与えてくれます。ヨナスは、現代の技術が持つ非可逆的でグローバルな影響力に対して、未来世代への配慮を含む新たな責任の原理を提唱しました。人新世における気候技術は、まさにヨナスが懸念したような、影響が時間的・空間的に広がり、因果関係が不明瞭になりがちな技術の典型と言えるでしょう。気候技術の導入は、未来世代の生存環境に不可逆的な変化をもたらす可能性があり、そのリスクに対して私たちはどのような責任を負うべきでしょうか。
技術的媒介と人間存在の変容
気候技術は、単に環境問題を解決するツールであるだけでなく、私たち人間と自然、そして互いの関係性を媒介し、変容させる力も持っています。例えば、気候変動を「技術的解決が可能である問題」と捉える視点は、気候変動を人間社会や経済システムのあり方、あるいは人間自身の自然観や価値観と結びつけて考える視点を矮小化する危険性があります。技術は常に特定の価値観や社会構造の中で開発され、利用されるものであり、技術の選択は同時に社会のあり方の選択でもあります。
また、技術の発展は、人間存在そのものの定義にも問いを投げかけます。私たちは技術によって環境をコントロールしようとしますが、その過程で私たち自身が技術システムの中に組み込まれ、技術に依存する存在へと変容しているのかもしれません。マルティン・ハイデガーは、現代技術を「総立ち態勢」(Gestell)として捉え、それが世界をただ利用可能な資源としてのみ表象させる力を指摘しました。人新世において、地球システム全体を技術的な問題として捉え、解決しようとする試みは、ハイデガーが批判した技術の本質をより一層強固にする可能性はないでしょうか。
責任の再考と新たな共存の模索
人新世の気候技術時代において責任を再考することは、単に過去の行為の結果に対する責任を問うだけでなく、不確実な未来に対する責任、そして技術によって変容する人間と非人間の関係性に対する責任を含む必要があります。これは、個別のアクターの責任だけでなく、技術システムや社会構造そのものに内在する責任を問い直すことでもあります。
さらに、私たちは技術に対する単なる支配や依存の関係を超え、地球システムとの新たな共存のあり方を模索する必要があります。これは、技術を一方的な操作のツールではなく、地球システムとの繊細な対話やケアを媒介するものとして位置づけ直すことを意味するかもしれません。あるいは、特定の技術に過度に依存するのではなく、多様な生態学的知識、先住民の知恵、地域社会のレジリエンスといった、技術以外の知識や実践との組み合わせを模索することもあるでしょう。
結論:終わりのない問いかけ
人新世における気候技術は、私たちに環境問題への対応を迫ると同時に、技術とは何か、人間とは何か、そして地球との関係性をどのように構築すべきかという根源的な問いを改めて突きつけています。技術への希望と懸念、効率性と倫理、短期的な利益と長期的な持続可能性といった二項対立を超え、複雑で多層的な現実と向き合う哲学的な対話が不可欠です。
気候技術の時代における責任は、単なる技術的安全性の確保に留まらず、技術が埋め込まれた社会システム、技術によって変容する私たちの価値観や自然観、そして不確実な未来への向き合い方全体を問い直すことから始まるでしょう。この問いは容易な答えを出せるものではありませんが、人新世という未曾有の時代を生きる私たちにとって、立ち止まることのできない探求であります。